2020年9月07日
Column|朝と私と、ナイスラン
朝靄が残る河川敷を駆け抜ける。深い眠りで硬直した身体が溶け出すのを感じながら、空っぽの頭に響くのは鳥のさえずりと、自らの吐息だ。世の中が動き始めるその前に、ランニングシューズの紐をギュッと絞めて走り出す自分を、どこか客観的に「よくやるな...今日も」と呟きながら、とは言えちょっとだけ褒めてあげたいと思う。
そんな自分と同様に、朝から息を切らすランナーと何人もすれ違う。マラソン大会と違って、そんな朝の空間ではみんなもっと自由に、各々がそれぞれの目的で「走る」ということを楽しんだり、歯を食いしばったり、十人十色なんだ。だから追い抜かれたって何とも思わない。むしろ、そんな背中に「ナイスラン」を贈りたい。「走る」ひとたちが、写し鏡のように今日も「走る自分」の輪郭を持たせてくれる。「走る」ことでゆるやかに繋がったそんな朝の時間には、世界の希望が溢れている。
"ナイスラン!"
今日もどこかで走るあの人へ、今すれ違うそのランナーへ、明日も変わらず走り続ける自分へ。